先日の東部第66部隊の記事と画像がかぶりますが、東部第66部隊が若松に移転した後、昭和18年9月に宮城県岩沼市(玉浦村?)から東部第111部隊が郡山に移駐してきました。この資料によれば、第12航空教育隊とのこと。
戦後は兵舎が郡山第六中学校の校舎として利用された。(同校ホームページより)
東部111部隊衛生部と思われる将校の写真を見つけたので、許可を頂き転載させて頂きます。【イラストレーターであるKumiko Sasakiさんのブログより】
【所見】
1、航空胸章と兵科章の併用ということで、経理・衛生・技術部のいずれかとなるが、色の濃さより深緑色の衛生部と推定
2、以下(1)(2)(3)の理由により、昭和19年5月以降、兵科章は改正前のままで、所属は本部附の軍医かと推定する。
と思われる。
(1)昭和18年10月の服制改正で、兵科章(各部)は襟章下部の識別線に改正となっている
(2)航空胸章は元々“兵科”の将校しか付けなかったが、昭和19年5月の改正で、航空関係部隊の各部将校以下~学校勤務者・生徒全てが着用した。
(3)隣接した郡山の陸軍病院は着用しなかったと思われる。
4肝心の部隊章については、画像から、将校用外套絨のような生地に、黄色糸での刺繍か、羅紗で「東111」と表示されている。羅紗の打ち抜きは金型が必要なため、「東」のような複雑な漢字は当時可能であったか疑問である。刺繍ならば再現も可能なことだろう。(※49師団の「朝○○」部隊の部隊章は刺繍であった。)
(※下士官以下は他部隊に現存するような、織り出しの隊号章を衣袴絨や脚絆絨にミシンがけしたものを配布したのだろうか。しかし、これはあくまでも想像。)
※郡山では“軍都”指定のため軍隊誘致活動に積極的で、海軍航空隊の教育部隊も置かれていました。郡山第三航空隊跡地は陸上自衛隊郡山駐屯地になっています。
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東部第111部隊(岩沼~郡山)
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