【この記事には確証がありません。推測になりますことをお許しください。】
第七十二師団~傳(でん)兵団~は昭和19年、仙台にて編成完結。本土決戦兵団の一つとして司令部を福島市内に置き、信・達地方の学校等に隷下部隊を配置した。
本土決戦時は仙台湾の防衛または北関東方面にも進出予定であったとのこと。
この部隊の部隊章は、「日の丸に決の字」(通称マルケツ)である。数少ない資料を照合し、体験記の著者にもインタビューしたが、細部は謎であった。
先日、保原町郷土文化資料館発行の終戦記念展示の図録を図書館で複写してきた。
このブログ管理人「伝3377」 の由来たる、第七十二師団隷下、野砲兵第七十二聯隊の第二大隊本部の集合写真が掲載されていたからである。
(野砲72連隊の兵舎は、伊達市保原町、福島県立保原高校の前身、保原中学の校舎であった。聯隊長は陸士37期の岩本東三中佐)
この写真の胸部を拡大して良く見ると、輪の中に決と書いた図案であるようだ。
しかし、まだまだ調査不足である。
考証のため、再現品を製作してみたので掲載する次第。
伊達市のT氏(百五十五連隊第十一中隊、一等兵)のインタビューでは縫い付け式であったとの事だが、
将校団の写真では、小ボタン(白貝製)で留めているようである。
本再現においては、このためのループを付している。
表面、白色木綿に朱肉と毛筆書き。実物は染めてあったとのこと。業者に委託したのか、あるいはステンシル的な手法で部隊で製作されたのかもしれない。
先のT氏の証言では部隊章を染めた布片を自分で折って縫い付けたということだ。
裏面はあくまで憶測による。確証はない。