神州隊服装再現第三報として、今回はつけ襟の話。
先日の榊原吉一軍曹と仙台航空機乗員養成所同期の佐々木平吉軍曹(戦死後少尉、写真は伍長時代)の写真を「陸軍最後の特攻基地」に見つけたため掲載させて頂く。
「つけ襟」とは、軍服を開襟着用した際に襟の汗や襟垢の汚れ防止のためにつける襟布と同じ目的で使用する。開襟型の夏襦袢を採用してからは、その襟を軍衣(防暑衣)の外に出すことで同じ効果がある。
佐々木軍曹の写真を見ると、つけ襟なのか、夏襦袢の物なのか、少し悩む部分がある。つけ襟は私物または部隊で製作したため形状に決まりはないが、おおむね製作に容易なように簡易な形状をしている。しかし、写真では「下襟」がはっきり確認でき、夏(防暑)襦袢の襟の形状とほぼ一致する。第一ボタンホールが確認できれば間違いない。
夏(防暑)襦袢はカーキー色ないし緑色だけではない。ある資料収集家のホームページには昭和二十年製の実物白色襦袢が掲載されているし、第二師団司令部(勇一三三九部隊)所属の古山高麗雄氏(兵隊作家)は一等兵時代これを着用している。
集合写真でも明かにつけ襟を使用している方もいる。もしかすると、白色 と 普通品混在で支給され、白の襟出しを見て「将校みたいで格好いいから下士官は白色開襟で統制しないか」という会話があったかもしれない。
(あくまで根拠の無い想像によるものです。)
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第63振武隊 神州隊の服装再現③
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