第63振武隊、通称神州隊。
昭和20年3月23日、第1飛行師団担任により編成
使用機種九九式襲撃機
隊長久木田清中尉
編成地及び訓練基地:原町基地
最終待機基地:万世基地
出撃:昭和20年6月7日
所属隊員(数字は機体番号を示す)
11→13中尉 久木田清 離陸不可
21少尉 木幡正義 目達原に残留
31同 高田明 離陸不可
23准尉 難波晋策 岡山県
12同 宮 光男 広島県
22曹長 後藤與二郎 三重県
33軍曹 堀口良助 目達原に残留
13→11同 廣瀬廣義 負傷により終戦まで入院
32同 服部良策 三重県
14同 中沢留吉 徳之島に不時着
34同 佐々木平吉 静岡県
24同 榊原吉一 福島県
【沿革】
20.3末
・久木田中尉 特攻隊長を拝命。第1飛行師団(帯広)付。
・飛行隊長より全員が(国華隊含むと推察)最期の休暇を貰い、
近畿以西の隊員が帰省の為に双発高等練習機にて出発。
(操縦者は国華隊の横田彦次郎軍曹?)
・休暇後、立川で飛行機受領
【私生活】
・原町では営内居住者は、料亭「魚本」を宿舎とする。
・久木田中尉は下宿住まい、廣瀬准尉・難波曹長は営外居住であった。
・高田少尉、宮曹長は恋人と仮祝言をあげて魚本の別室に同棲した。
※昭和二十年、相馬野馬追いの時、第六十四振武隊國華隊が下宿していた料亭柳屋に神州隊下士官七名が招かれ、その日本庭園で撮影された写真とのこと。写真は「あかねぐも」より引用。
※野馬追いの時期については昭和20年7月。とっくに原町から出発しているのでどういう事情かは不明。但し国華隊員の甲冑姿は写真に残っているため、野馬追いに関係するのは間違いない。
20.4.19
第1飛行師団から第6航空軍に転属
20.5.1
一部隊員の進級発級
・陸軍准尉へ…廣瀬・難波
・陸軍曹長へ…後藤
・陸軍軍曹へ…榊原・佐々木
20.5.15
山口県防府の飛行場に転進(理由不明。榊原軍曹の家族あて葉書より)
20.5.27頃(もっと早かったのではないか、という意見もある。)
原町から八尾市大正飛行場に転進(1~2機が整備不良で出発できず。)
・大正飛行場滞在時、廣瀬准尉、隊長機の試験飛行中生駒山に墜落する事故発生、
空中より偵察の結果、負傷しているが生命は無事とのことで
木幡少尉以下下士官一名を差し出し飛行場大隊の車で収容。
飛行機は大破、廣瀬准尉は終戦まで陸軍病院に入院し原隊復帰ならず。
20.6.2
佐賀県目達原飛行場に前進、私物品の整理を実施。
20.6.4
鹿児島県万世、唐仁原飛行場に前進
小幡少尉、堀口曹長は目達原に残留(整備完了をもって万世へ前進予定であったと推察される。)
宿舎は加世田町の飛龍荘?
20.6.7
・出撃命令あり「本日薄暮、第六十三振武隊の全機をもって沖縄に攻撃をかけよ」
・編隊形式をとらず、2~3機ずつ単縦陣をとって3方向を低空で接敵すると決定。
・出陣式挙行
・使用機始動直前に空襲警報あり。爆装解除し爆弾のみ隔離。
・空襲警報解除(敵機は現れなかった)
・再度爆装作業
・16時50分~55分、7機が出撃、機体不調のため久木田中尉、高田少尉離陸できず。
准尉 難波晋策
同 宮 光男
曹長 後藤與二郎
軍曹 服部良策
同 中沢留吉
同 佐々木平吉
同 榊原吉一
・中沢軍曹は徳之島に敵戦闘機の攻撃を受け不時着して生還。「6/7 万世ヨリ出撃、未皈還ト報セラレタルモ 6/30 奄美大島ニ生存シアリ、経緯不詳」
(振武隊異動通報 第四号より)
・久木田大尉は6月10日大尉に進級。飛龍荘で少年飛行兵の生還者を監視、
所属敵機動部隊北上の際は特攻生還者を第三十二攻撃隊に所属させて
これを指揮し、出撃する事になっていた。(陸軍特攻「振武寮」あとがきより)
↧
原町特攻隊 神州隊史 ①沿革
↧