宮曹長の写真が、難波准尉の名前になっており、(これは間違いない)また、宮曹長の説明のところの写真は難波准尉ではないように見える。もしくは若い頃のものかもしれない。現在、万世の記念館に確認しているところ。
↑ほんとは宮曹長です。南相馬市博物館に、別アングルでの肖像写真がある。裏書きには宮さんのご遺族の名前が書かれている。
↑集合写真の宮さん。冬服であり、編成当初の集合写真だと思われる。私物戦闘帽に旧式軍衣袴と、充分な貫禄。
↑難波さんっぽい写真だが詳細は不明
原町での壮行会後?の飛行服姿の写真(飛行時計にリボンがついてる)だと、末期型の飛行服になっている↓(榊原さんも。)
こんなかんじ。
↑これが難波さん。頬がこけた渋い顔が特長。
原町戦没航空兵の記録に掲載された飛行服の写真も同様の顔。
これも難波さん。13号機は広瀬准尉の愛機。のちに隊長機となる。ちょっと違う表情だが、遺族から原町の慰霊祭事務局に提供された写真(のち南相馬市博物館に寄贈)は、裏書きには難波さんの名前が明記されている。
万世の展示で宮さんと表記されている写真ににているような。
(追記1)
職員さんにすぐに確認してもらったところ、展示室の遺影も同じ写真が使われていた。このため、南さつま市役所観光交流課に電話するように、とのことであった。
(追記2)
南さつま市役所観光交流課にメールしたところ担当者より電話あり。
写真の相違に気付いた経緯について説明したところ、ご遺族に確認して処置するとのこと。
また、進展があったらご連絡いただけることになった。
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「陸軍最後の特攻基地 」と万世の遺影
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