後藤与二郎軍曹について四日市のお姉さん宅に電話。息子さんが出た。当時四日市空襲のため、役場も墓も一面焼け野原。記録も何もかも無いのである。ただ一枚の写真が残るのみ。
特攻で命を捧げ、戦災で生きた証まで奪われてしまった。せめて原町の話だけでも明らかにすると心に誓う。
特攻で命を捧げ、戦災で生きた証まで奪われてしまった。せめて原町の話だけでも明らかにすると心に誓う。