$ 0 0 鈴木文治伍長橘 保軍曹川原文治はいつの間にか父親が鈴木姓に変えていたという。第一小隊で渋谷、橘、岸田、鈴木の編成で出撃、鈴木伍長の機体は不調だった。渋谷隊長が手信号で帰れ帰れと示したが拒否、隊長は彼の機の回りをグルグル飛んで帰るように促し、途中まで随行するように橘軍曹へ指示。鈴木伍長は帰還。橘軍曹は山に激突し重傷、行方不明だったが救助され生還。鈴木伍長は戦後鈴木祥文を名乗る。橘軍曹とともに華隊遺族と生還者の団結に寄与。