陸軍特攻振武寮によれば、特攻隊生還者を集めて知覧の三角兵舎や加世田の飛龍荘に収容し、第三十二攻撃隊に所属させて久木田大尉に指揮させたとあった。神州隊は6/7主力が出撃した後、発動機故障で離陸出来なかった久木田中尉、高田少尉(当時)および目達原から6/9以降追及してきた木幡少尉(当時)、堀口曹長の四名が残員として残った。彼らは再度出撃したが、索敵不能で全機引き返している。その後知覧の三角兵舎にうつり7月、また飛龍荘に戻った。8/3出撃の予定であったが中止となっている。
振武寮の著者林えいだい氏は久木田大尉に二度訪問したが無言であったといい、後日(8/15日に二機出撃させたことに対し)「出撃を命じたことを証明します」と手紙を貰ったという。
その三十二攻撃隊というのは全く情報がない。
林えいだい氏の情報が正しければ共に生活していた國華隊の橘軍曹、横田軍曹、鈴木伍長は久木田大尉の掌握下にいたのであろう。
振武寮の陰惨な話とは真逆で、燃料節約のため三日に一度の試験飛行の他、空襲(飽きる程で、しまいには何も感じなくなったようだ)のない日は海水浴などをして過ごしていたようだ。
7月に撮影した、知覧の小学校の慰問会での集合写真が残っている。いずれも特攻隊の生き残りである。裏書きには神州隊、降魔隊、剣隊の隊員名があった。他には「知覧同期生」と書かれた写真には特操1期の木幡、高田両氏のほか数名の写真があった。一人は惟神隊(48振武隊)飛行服の日の丸に書かれていた。
久木田大尉手記には、広い飛行場で終戦まで頑張っていたとある。厭戦的な雰囲気は無かったというが実際はどうだったか不明。
現状では上記のところまでわかっているが、また判明したことがあれば追記したい。
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戦争末期の万世基地
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