この写真1・2は若松連隊の敷地に隣接した練兵場で行われた、ガダルカナル島戦で戦死者の慰霊祭です。
写真1は慰霊祭において留守部隊長が弔文を読んでいるシーン。
写真2は参列者席から見たところですが、奥に見える箱は戦死者分だけ用意した白木の箱です。遺族の方々は余りの多さに絶句したことでしょう。準備のために東部二十四部隊所属だった方は「留守隊はまるで戦場のようでした。二千余の白木の箱に涙の捧げ銃をする間もなく、慰霊祭の準備、白木の箱への名前書き…白木の箱に名前を書くだけでも一週間ほどかかりました」(福島戦争と人間)との証言を残しています。
写真3は仙台師団の合同慰霊祭と思われます。
●下の新聞資料は慰霊祭を報じた記事ですが、「新聞でみる会津の昭和史」(歴史春秋)社だったと思いますが、確証が持てません。違う場合はお許しください。
この記事によって弔辞を読む人物が東部第24部隊長の池上猛彦大佐(のち歩兵第129連隊長)であることが分かります。
池上部隊長の弔辞の全文が福島民報に掲載されています。
留守師団長の寺倉中将の弔辞も一緒に入手したはずですが画像がありません。
合同慰霊祭の告知(福島民報)
原隊所在の都市は会津に他ありませんが、恐らく所在の秘匿の為伏せられているものと思います。
「慰霊祭式次決まる」の記事(福島民報)
福島民報「ガ島の英霊故郷へ 粛々声なき凱旋」
福島民報
「英霊故山に帰る」
福島民報
福島民報
福島民報
「留魂袋趣意書」は、よく戦記に「戦死者の遺骨は還らず、遺族に渡された白木の箱の中に入っていたのはなんと砂だった」などど書かれることがありますが、これに付けられた説明書が本品となります。
表紙には薄いですが、ゴム印で「歩兵第二十九聯隊」と記載されています。
こちらは、共に入手した文書です。