特攻隊の別れの盃に水盃の実例が少ない事は前回書いた。
では水盃の儀礼の実際とは?
上海事変や日露戦争あたりにも戦地で水盃したことを書いた文章はあるので全てではないし、まだまだ調査の余白はある。江戸やその前にも遡らねばならないかもしれない。私はその水盃に対し肉親、 親しい友人等と個人的に交わすもので儀式だってやるものではないと感じている。
博徒や的屋の結縁の盃事は武家の儀式を模倣したもので、神酒に血液を混ぜて盃を下げ渡したものが源流であり、現在見られる典型的なものは媒酌人が箸を使って塩と鯛を交互に神酒に浸す動作を行って造り込む。これによって血混じりの神酒を再現するのだ。
※親の血を分けて乾分(子分)とするという部分は鬼滅を読んでいる人はピンとくるかもしれませんね!
水盃は、(肉親なので妻の他は改めて交わすものではないが)古事記に見る伊邪那岐命が黄泉の国での穢れを川の水により清めたことから始まるように、その交わした盃(縁)を清め・水に流す(断ち切る)ことのために行うものと思う。地方によっては、水盃の儀式を結婚のセレモニーとして行う所もあって、女性側の家から持ってきた水をカワラケに注ぎ、嫁ぐ女性が口にしたのち、カワラケを割るというもの。( 嫁入りの場合のみ?)
では特攻隊はどうか。別の部隊から送り込まれた特攻隊員と、出撃させる側の部隊長に、個人的な関係はいざ知らず水盃を交わすまでの精神的結束があるのだろうか。
私は、これを「別れを惜しみ、縁を断ち切るもの」ではなく、出陣祝いの酒と見る。「武人の首途を祝し、 成功を祈る」ことを目的とした肯定的な盃儀礼である。勿論、盃の文化が一般家庭にまで浸透していた時代であって、殊更意識はしていなかったのかもしれないが。
水盃を末期の水として見るのは、神道儀式なのに仏教的?地方によっては葬儀の中で故人と別れの盃と言って酒を口に塗り、生者が献盃するとか、古くは末期の水を同じように生者も飲んだからとか、あり得ないとは言い切れないがあまり一般的ではない。
特攻隊の場合、あくまで「成功を祈る」わけで「死んでこい/死んできます」ではない。
なお、飛行機操縦にあたり飲酒は不可なのは川島四郎主計少将も書いている通り。しかし、数々の体験談や、乾杯以外は絶対に飲酒を禁ずという知覧の第三攻撃集団の文書(65FRの吉田戦隊長が起案したらしい?)を見るに、やはり飲酒であったのだろうと思っている。現在は海軍部隊の実例を調査中です。
以上、Yahoo!知恵袋などいい加減で当てにはならないので注意!
ということです。