二十年四月にもなると、岩沼小学校を始め、岩沼周辺の各小学校の校舎の一部には、本土決戦に備えた陸軍部隊(伝部隊)が駐屯し、二の蔵から閖上、蒲生に至る海岸線には、米軍の上陸に備えた第一線部隊が配備された。しかし、兵隊の中には小銃をもたない丸腰の兵隊もいた。また、千貫から愛島、高館にかけての高地には、防空監視所や対空機関砲陣地などが設けられたが、八月に入って、広島と長崎に原爆が投下され、次いでソ連が対日宣戦布告をして、満州、朝鮮に侵攻してくるに及んで、遂に日本も戦争継続を断念し、八月十五日、ポツダム宣言を受諾し、戦争は終った。
国民は一様に、肩の荷をおろしたような感じであった。思えば、不況に明け、戦争にくれた、長い悪夢のような昭和前半期であった。