歩兵第六十五聯隊戦死者遺品
御遺影(東部二十四部隊集合写真から)遺品の貴重品袋はスフで出来ていた遺留品袋檀家となっている寺からの弔辞と授かった戒名仙台留守師団長(のち七十二師団長)大賀茂中将からの弔辞母に宛てた軍事郵便(鏡六八〇五部隊)Android携帯からの投稿
View Article小田山忠霊堂におけるガ島忌
もらってきた↓もらってきた↓報道された記事雪の会津忠霊堂内の祭壇で献花と焼香が行われた私が献花した白菊忠霊堂内の御遺骨の収容状況もらってきた↓ Android携帯からの投稿
View Article福島市史別冊Ⅵ 杉妻村 海軍技術廠の話
昭和十八年七月、精密機械兵器の生産に携わるサクラ計器株式会社が黒岩に進出し、昭和二十年一月には、神奈川県横須賀市の第一海軍技術廠が疎開して、福島出張所を設け杉妻村国民学校の一部を借用することとなり、国民学校南方高地を利用して分散廠舎を建造した。
View Article福島市史別冊Ⅵ 平野村 伝部隊の話
(平野村国民学校 昭和二十年) 七月十日には伝三三七五部隊の師団司令部が学校に入り、講堂および西三教室は接収された。講堂は軍用荷物置場となり一〇名位の兵が常駐した。 終戦により、八月二十一日、軍隊は退去した。
View Article福島市史別冊Ⅵ 湯野村 伝部隊の話
立上がった青年たち 重大ニュースを聞いたのは昭和二十年(一九四五)八月十五日、たまたま湯野国民学校では勤労奉仕に集まっていた生徒たちと、校舎の一部に駐留していた伝部隊の軍人たちであった。 正面玄関前に整列してラジオをきいたのだが内容は不明であった。終戦の詔書であるとわかったのは、伝部隊からの通報によったものであった。...
View Article福島市史別冊Ⅵ 東湯野地区 伝部隊の話
終戦処理の第一として、橿原神社の裏山につくられていた伝部隊(伝三三七〇部隊)本部兵舎といわれる木造二棟(合計一四三坪)は、一部無償であったが払下げられ解体された。(東湯野概史)昭和二十一年の事であった。
View Article福島市史別冊Ⅵ 飯坂村 伝部隊の話
七月十日の前後に、近所の小学校には歩兵第百五十五連隊、いわゆる伝部隊が警備のため配置された。やがて間もなく、敗戦となるのである。(中略)配置された伝部隊がまっさきに解任されて帰っていき、毎日夜続いた対空監視の役目がなくなった。
View Article戦争を知らない世代への手紙 「戦中の生活」より抜粋 伝部隊
二本松に伝部隊と称する兵隊がお城山と旧制安達中に駐屯していた。箕輪門前の通りは桜並木が見事であった。しかしそれらの桜は兵隊が馬に乗るのに邪魔だという理由で根元から全部切られてしまった。その道だけを、馬から降りて通ればいいのにと怒りを感じた。桜花の咲いている時期の事なので思い出す。
View Article放出資料の情報
重複または不要資料につき、必要な方にお譲りします。若松連隊全史(希少)ガダルカナル島戦の核心を探る 勝股治郎遥かなり雲雀が原(原町飛行場)嗚呼原町陸軍飛行場紫雲...
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