かなり前の話ではありますが先輩の書籍に掲載していただきました。
64振武隊の巽精造少尉(甲種幹部候補生第9期)の遺品に、機甲整備学校時代のものが数枚ありこれをデータで提供しました。巽氏は、徴兵で輜重兵第4聯隊から陸軍機甲整備学校へ行き、部隊勤務経験は不明ながら航空に転科して大刀洗飛行学校菊池教育隊にて操縦教育を受けています。のちに振武隊の隊長となる渋谷健一氏は隣の区隊長(一般部隊では小隊長)でした。面識ぐらいはあったでしょうし、似たように経歴上接点がある隊員が複数名いたため、これが当時の新聞に最大級に脚色されて「師弟特攻」という扱いにされました。実際、同一部隊の人員、学校であれば教官と助教で編成された振武隊も多数あり、精神的団結を重視して編成された一面もあったものと考えております。