第六航空軍司令官菅原道大中将 死してなおネットリンチに晒されている人物だ。司令官は出撃すると言いながら生き残った、というのが非難者側の言い分のようだが、こんな批判をしても許されるのは遺族の立場だけだ。
終戦から70年経過しているし、全く関わりのない外野はもっと冷静に見るべきである。
もし、司令官特攻が実現されるならば本土決戦の終末期に入った段階で、陸軍にしてみれば沖縄の次は本土、という意識で準備を進めていたし、本土決戦準備において陸軍航空戦力の主力は実用機から練習機に至るまで「と」号、すなわち特攻隊であった。沖縄戦の段階で司令官が出撃するのは何とも不自然だし、内地に待機する特攻隊員もかなりの数に達していた。
8月15日に終戦を迎えたが、司令部要員はじめ特攻、戦隊、飛行場大隊、通信隊、高射機関銃中隊・・・全部、全部が司令官の指揮下なのだ。終戦時の大混乱を避け、早期に復員させるのが司令官の務めではないだろうか?
確かに、当時の倫理観から、どこかのタイミングで腹を切るのは妥当であったかもしれない。機を失してしまったこともあるだろう。しかし、未だに死ねばよかったと第三者に繰り返されるのは作為的にしか感じられない。