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Channel: ふくしまの戦争資料室
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ブログ用フリーメール開設しました。

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フリーメール開設しましたので、ご連絡用にお使いください。ブログ以外の使用はしません。


情報交換などを活発に行えたらと思っています。
toubu24butai@excite.co.jp


三重県の特幹「i」さん

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服部さんのご遺族つながりでまた新たな出会いがあった。細部は手紙を出して質問させて頂くことになった。本人も「待ってました」という様に、流れるように話して下さった。神州隊三重県出身者3名について明らかになると確信した。

展示用飛行服を探しております。

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【お願い】中田商店という、複製品の会社が何年も前に販売していた飛行服を探しております。

国華隊及び神州隊で着用
渋谷大尉
出撃前の國華隊といえば、ほぼ全員がこれ。
神州隊は写真がないため、服部軍曹以外はまだわからない。

国華隊の巽、稲垣少尉(原町)
神州隊の難波准尉、榊原軍曹(万世)


原町編成特攻隊員の多くが着用している、スエードの飛行手袋。

陸軍の縛帯



一般の方や戦没者遺族の方々に、より歴史を感じて頂くため、服装を再現して展示しようと考えています。もしご賛同いただける方がいらっしゃいましたら、希望のお値段をコメントか、ブログ掲載のメールアドレスにご連絡下さいませ。

四十五振武隊と李方子妃

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四十五振武隊の小隊長、鈴木邦彦少尉の日記には、昭和20年2月23日、那須の山楽という旅館の御座所の間という部屋で「昌徳宮妃殿下及世子殿下に親しく特攻隊の名を聞こしめさる、即ち白羽二重一疋下賜あらせられ・・・」とあり、皇族の方よりマフラーの生地を頂いたという一文が見られます。

これに対し、宮内庁に問合せを行ったところ、広報担当者様より以下の回答を頂きました。この場で改めて御礼申し上げます。

【以下転載】
お尋ねの件につきまして,以下のとおりとなります。

①昌徳宮妃殿下及世子殿下について
昌徳宮妃殿下については,旧李王家の李垠(り ぎん)殿下のお后であった,方子女王殿下(李方子(り まさこ)のこととなります。

世子殿下については,そのご子息である李玖(り きゅう)殿下のこととなります。

②那須へご滞在されていたことについて当庁に存在する資料から,那須にご滞在になられていたことを,確認することはできませんでした。ただ,李玖殿下にあっては,疎開先の那須に滞在されていたことが,以下の書籍に記載されております。
     

・英親王李垠伝 李王朝最後の皇太子(李王垠伝記刊行会著 共栄書房)
     
・動乱の中の王妃(李方子著 講談社)
    
なお,旧李王家にあっては,当時,那須に別邸があったことが,以下の書籍に記載されております。
・李方子:一韓国人として悔いなく(小田部雄次著 ミネルヴァ書房)


有難うございました!

藤井一中尉

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藤井一   中尉


藤井家に残る遺筆
「捨身殉国斃而後不已  陸軍中尉  藤井一(花押)」

彼の特攻志願に関わる悲劇は有名だが、そこに隠れた部下の話をないがしろにすることは、藤井隊長自身、不本意に思われるだろう。

何せ、今語られるエピソードは、藤井隊長の志願が通って特攻隊に通信員として小川彰少尉の機に同乗して、知覧から出撃という、何とも薄っぺらな話なのだ。
それならばわざわざ「四十五振武隊長 藤井一中尉」として職名をのせるべきではない。

彼と生死を共にした仲間達の事も、しっかり調べて明らかにしてあげたい。特に原町を愛した3人の57期生(小川、鈴木、中田)の事は。

神州隊集合写真

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一応、個人蔵なので、集合写真はブログに掲載いたします。転載についてはご連絡頂ければ可能です。



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四十五振武隊と松戸 1

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昭和20年5月、四十五振武隊は松戸にいた。
松戸を出陣する直前、隊員の家族などが見送りに来ていた。

現在判明しているのが藤井一隊長と鈴木邦彦少尉。二人は松戸駅前の「天金」という旅館で最後の夜を過ごしたという。

先日、松戸市博物館に問い合わせたところ不明であったが、地元の郷土史研究団体「松戸史談会」様に有力な情報を頂き、現代の地図に表示して頂いた。細部は後日紹介する。





國華隊と八尾 大正飛行場

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 近鉄久宝寺口駅から、八尾駅方面ガード下に我が「佐藤鍼灸整骨院」がある。そこを左に曲がって約50㍍西の方へ行くと左側に、小さな旅館風の民家がある。八尾市末広町にある旅館旧「政乃家」だ。
 今から、57年前の1945年6月2日、特攻隊「国華隊」の隊員12名が、福島から宮崎県の都城の基地に向かう途中、航空機のトラブルのため、大正飛行場(現八尾飛行場)にいったん着陸した。その間、隊員達は飛行場から、いまでは車でおよそ15分ほど離れた旅館「政乃家」に泊まることになった。隊員達は、宿のおかみさんに寄せ書きを書いたノートを残していったという(「語りつごう 目で見る八尾の戦跡」八尾戦争展実行委員会発行)。

http://www.sato-acup.co.jp/cgi-bin/calen/calen.cgi?mode=main&action=view&YMD=20021208&w=0こちらから転載させて頂きました。

國華隊の寄せ書きは、南相馬資料館展示の寄せ書きマフラー×1、未展示の寄せ書き×2、佐賀県の西往寺と思われるもの×1が私の確認しているものである。このノートは未確認であるため、現存するならば、是非とも見てみたいものだ。収蔵機関などがご存知の方はご連絡ください。

國華隊 岸田盛夫軍曹 愛唱歌

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バタビアの夜は更けて

岸田盛夫軍曹(京都出身)の愛唱歌であるという。


1 都バタビア 運河も暮れて
  燃える夜空の 十字星
  遙か祖国よ あの日の旗よ
  風に歓呼の 声がする


2 ジャワの常夏 南の基地に
  撫でる翼の 弾丸(たま)のあと
  なんの苦労と 口笛吹けば
  月に散る散る 白い花


「ああ今夜も見る夢は、きっとお母さんの夢だろう。いつもいつも僕の手柄を祈って下さる、やさしいお母さん。日本一のお母さん、元気でいて下さいね。妹も嫁入り盛りだ、街できれいな更紗など見かけると、兄さんはお前に買ってやりたいと、しみじみ思うのだよ。海山遠く離れていても、想いはいつか届くもの…」


3 山を眺めりゃ 故郷の山に
  似たる姿の 懐かしさ
  母よ妹よ 便りはせぬが
  空に書いてる この想い

神州隊 佐々木平吉軍曹の好きな歌

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八牧美喜子さんの「いのち」という本によれば、佐々木軍曹は「あの花この花」のレコードを聴いてホロリとしていた、という。


あの花この花
1 あの花この花 咲いては散りゆく
  泣いてもとめても 悲しく散りゆく
  散らずにおくれよ 可愛い野花よ
  わたしは幌馬車 旅行く乙女よ


2 あの雲この雲 日ぐれて帰るよ
  静かな谷間へ たのしい都へ
  いつの日帰ろう 恋しいふるさと
  わたしはあてない さすらい乙女よ


3 あの星この星 夜更けて光るよ
  水色桃色 みどりにむらさき
  教えておくれよ たずねるしあわせ
  わたしはあてない さすらい乙女よ


4 あの丘この丘 越えても遠いよ
  乙女の夢見る 願いのふるさと
  朱総(しゅぶさ)の鞭さえ 涙にぬれるよ
  わたしは幌馬車 旅ゆく乙女よ 

近況

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現在、振武隊45、63、64隊の調べた結果を纏めて冊子にすべく執筆中。終戦70周年に向けて頑張ります。史談会の名で配布してもよし、個人として図書館や学校に寄贈してもいいな、などと思っています。いずれにせよ、特攻を商売にしてはならんとの教えに忠実に、完全自己負担でやります。(と言っても、オンデマンド印刷なら3万程度あれば体裁の良いものが普通に作れる)

知覧関係のトメさんの本は売れるのでまた新しい本が出しましたね。関係者筋では間違いもちょいちょいあるようですが・・・


渋谷隊長の妻・光(みつ)さんの手紙

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渋谷隊長の奥様の、戦後の手紙をコピーさせて頂き、解読中である。

渋谷健一氏亡き後、二児を抱え、一度出た実家に厄介になり、実母にまで居候扱いされる苦悩。

「一思いに渋谷の側に参りましたら・・・」という、辛さを吐露している。

このブログに全文を掲載することは今後無いが、この戦争未亡人は、苦労に苦労を重ねてお二人をお育てになったと思う。

くるめもん.com

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くるめもん.comの管理人さまが、お父様に来た郵便物ということで63振武隊の木幡少尉(特攻当時)からの葉書を掲載されていた。その脇にご遺族のことが書かれていたためメールさせていただいた。これがきっかけで木幡中尉(最終)のご遺族と連絡がとれるようになったということで、感謝の気持を込めて紹介させていただく事にする。
http://kurumenmon.com/

神州隊のマフラーと後藤軍曹

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神州隊のマフラーには後藤与二郎軍曹の署名が無かった。後藤氏の写真は二枚、個人の立像と集合写真のみ。墓もなく除籍謄本もない。
何とかならないものだろうか・・・


今日われ生きてあり①

今日われ生きてあり②

精読「今日われ生きてあり 」神坂次郎著

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別記事に2件に分けて掲載させて頂いた表題の「今日われ生きてあり」が、疑問の残る内容ながら六十四振武隊の「感動悲話」扱いをされている事が分かったので、これについて良心を以て批判を加えたいと思う。

何故かというと、この本は(六十四振武に関しては)取材形式をとっているにも関わらず、私が資料収集の段階で読んだ文がほぼ全文転載されているからだ。
【細部は後日更新】

知覧 鳥浜トメさんの娘礼子さんの話

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ある人との会話で、こんなことがあった。

「あなた知らないと思うけど、鳥浜トメさんの娘の礼子ちゃん、マスコミには女学校で特攻隊のお世話をしたことになってるけど、実際は戦隊担当だったのよ。特攻班と戦隊班に分かれてたんだって。」

正直「本当かよ~」とあまり信じてなかったが、図書館で「知覧特攻基地」という本の189ページに、確かに「知覧高女  三年  鳥浜礼子  戦隊担当」と書かれているのを見つけてしまった。やっぱり、商業作家やマスコミの商法の下にねじ曲げられたのか・・・?

私に話してくれた方は余り言って欲しくないような感じだったが、出版物として世に出ている以上問題ないと思う。

真実は知覧関係者しか分からないと思う・・・

再現・六十三振武隊の寄せ書きマフラー

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正絹羽二重生地がなんと1000円でしたので、早速作ってみた。ミシンがけは帰省時にやるので切りっぱなし状態。実物は上端と左右の端末がミシンがけされている。これは幅が実物と同じだったので折り返しが出来ない。

インクはくれ竹の筆ペンインキを使用し毛筆で書いた。少しでも粘度を高くすべく、手元にあったキーピングを使ってにじみを押さえているが効果は不明。

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