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この記事は以下のブログ主様にご了承いただきまして、画像を使わせていただきました。
千々石(ちぢわ)deその日暮らし~長崎県雲仙市千々石町
http://himahima1.cocolog-nifty.com/in/2012/06/post-137c.html
航空殉難九勇士の墓
殉難聯隊旗手 古澤清重
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歩兵第二百十四連隊「白虎部隊」部隊章について
歩兵第ニ百十四連隊
浜田準之助中佐(のち大佐、二代目連隊長)の発案とされる。
昭和14年3月、当連隊は若松歩兵第二十九連隊留守隊において編成された。
この編成間近の頃、予備士官学校の教育を修了して原隊に復帰した阿部知幸見習士官(当時)は、連隊本部附の某中尉殿に「見習士官は東京の高等師範出で、絵を描くそうだな。略帽の星章の上につけるんだが、部隊のマークを『虎』でつくってくれ。急ぐんだ。」とのこと。参考にと渡されたのは若松市内か東山温泉辺りの土産物と思われる日本画風の虎の絵を描いた布。「金属板で、まる型のもの」と指定され、阿妻見士は天空に吠える頭部のマークを考え、金属で、ということで七宝製と決め、白虎の意図がわかったので(白虎隊にちなんで、と説明があったものと推察)輪郭は七宝の地金をいかし、虎は白とした。また、白虎をいかすため周囲は紺青(ウルトラマリン)と指定し、ニ時間程度で完成させた。
部隊の出発は四月三日。それまでに何千個かのマークができ、一人一人に配られ、略帽の星章の上に縫い付けられた。という。また阿部見士は「白虎のマークを部隊の標章と決定された連隊上層部のアイデアを素晴らしいものと思い、今なお、敬意とともに高く評価している。そして、このマークをつけた帰らぬ戦友の多いことを思い、なき戦友の冥福を祈る気持が、私なりにひとしお深いのである。」と回想していいる。以上連隊史「白虎マークの思い出」より。
歩兵第二百十四連隊史より
この度完成した再現品(この時点では研磨及びメッキの加工をしていない)
部隊章製作顛末
この部隊章製作にあたっては、以下の2業者様の御協力があり完成したものです。
G-IRON SILVER WORKS 埼玉県加須市
金魚七宝店 神奈川県川崎市
※ ※ ※
1 構想
構想は既に中学生の頃手にした「若松聯隊写真集」と「ビルマ戦線と風俗漫画集 会津若松 白虎部隊」(慰霊碑にある部隊章デザインが掲載されていた)を見て、いつかは・・・という気持ちがあった。徽章製作会社ロット数がないと単価にして五万円前後という恐ろしい金額であり、諦めていた。まだこの時点では、慰霊碑の部隊章は正確ではないことを知らなかった。
2 聯隊史の入手と詳細な写真との出会い
聯隊史を偶然入手した。「3000円程度なら」と、たまたま買ってみた。
内容を見ると、部隊章の詳細な図案が掲載されている(それでも2センチ未満だった)
しばらく実家に放置し、仙台方面に出張の折、帰省して久しぶりに読んでみる。すると、前掲の「白虎マークの思い出」の記事を発見する。また、これと同時期に自衛隊駐屯地の資料館で詳細な写真を確認することなり、製作可能か調べ始める。
3 徽章店はダメ、彫金は?エッチングは?
大体1円玉程度の大きさと決め、業者に問い合わせ始める。
最初は彫金屋。「ここまで細かいのは無理。サイズは大きくできないのか」ということで×。エッチングは七宝向きではないということで×
4 業者との出会い
方々問い合わせしているうちに、自分のシルバーのペンダントを見て、個人向けシルバーアクセサリー業者に問い合わせる。その業者に、再現で正確に作るなら、ロストワックス製法というのがある。3Dプリンターによって蝋で原型を作り、これを鋳造の型にするということで、G-IRON SILVER WORKS 様をご紹介いただいた。
同時期に、七宝屋の意見を聞かないと地金製作の依頼ができないと思い川崎の「金魚七宝店」に問い合わせる。
地金の指定事項として材質は純銀(シルバー925などは割れる可能性あり)で、発色や加工性も考慮して厚さ1.6ミリ、彫の深さ0.6ミリとした。七宝絵具については材料にラピスラズリを使用した発色の良いものとのこと。
両業者様には、こちらの熱意を汲んでいただき、大変丁寧かつ詳細に至るまで調整していただいた。(G-IRON SILVER WORKS様は、手彫りで特に「垂直彫り」は得意との事。)
●製作の流れ
図面製作とサイズの指定~ワックス原型製作~鋳造~修正~研磨~七宝店へ発送~七宝店側からの地金修正依頼~地金製作側に修正依頼~七宝店へ発送~色入れ(白)~色入れ(青)~研磨~メッキ(ニッケル)
※純銀製品は、傷つきやすいため通常はメッキで保護する。装飾品にはアレルギー性は少なく、皮膜強固なロジウムメッキを使用する。ニッケルメッキは安物の加工をするためのもの(我々の日用品には多く取り入れられている)で銀の価値を下げることになる、とのこと。しかし、ロジウムメッキにはリスクが伴うためどこの業者でも断られた。元々が装飾品ではないし、地金は多分銅に銀メッキを施したものであると考えるため、ニッケルメッキでお願いすることにした。
第63振武隊 神州隊の服装再現 2
陸達第30号(昭和20年5月14日)
第一条
陸軍飛行機操縦術修得徽章ハ空中勤務者基本教育ノ過程ヲ終了シタル者二対シ教育担任部隊長所管長官ノ認可ヲ受ケ之ヲ付与ス
第二条
下士官兵ニシテ陸軍部外二於テ飛行機操縦術ヲ修得シ航空本部長ノ行フ試験ニ合格シタル者ニ対シテハ所属部隊長前条ニ準シ陸軍飛行機操縦術修得徽章ヲ付与スルコトヲ得
処分情報
①陸軍下士官兵用略帽末期品
②三十年式銃剣 直鍔、ゴム引き鞘、剣身切断
③陸軍伍長襟章私物品 未使用
④陸軍尉官刀緒 平織
⑤九五式軍刀緒中期以降品
⑥陸軍編上靴 12文
⑦陸軍防蚊覆面
⑧陸軍鉄帽 末期型完全未使用品
⑨陸軍夏襦袢(防暑襦袢) 少汚
⑩陸軍九八式中佐冬衣袴 襟章はスナップ釦脱着式
上記収集品を引き継いで下さる方はご連絡下さい。当然ながら実物。
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東部第111部隊の部隊章
先日の東部第66部隊の記事と画像がかぶりますが、東部第66部隊が若松に移転した後、昭和18年9月に宮城県岩沼市(玉浦村?)から東部第111部隊が郡山に移駐してきました。この資料によれば、第12航空教育隊とのこと。
戦後は兵舎が郡山第六中学校の校舎として利用された。(同校ホームページより)
東部111部隊衛生部と思われる将校の写真を見つけたので、許可を頂き転載させて頂きます。【イラストレーターであるKumiko Sasakiさんのブログより】
【所見】
1、航空胸章と兵科章の併用ということで、経理・衛生・技術部のいずれかとなるが、色の濃さより深緑色の衛生部と推定
2、以下(1)(2)(3)の理由により、昭和19年5月以降、兵科章は改正前のままで、所属は本部附の軍医かと推定する。
(1)昭和18年10月の服制改正で、兵科章(各部)は襟章下部の識別線に改正となっている.
(しかし、終戦まで着用した例なぞゴロゴロあるのが実情)
(2)航空胸章は元々“兵科”の将校しか付けなかったが、昭和19年5月の改正で、航空関係部隊の各部将校以下~学校勤務者・生徒全てが着用した。
(3)隣接した郡山の陸軍病院は着用しなかったと思われる。
4肝心の部隊章については、画像から、将校用外套絨のような生地に、黄色糸での刺繍か、羅紗で「東111」と表示されている。羅紗の打ち抜きは金型が必要なため、「東」のような複雑な漢字は当時可能であったか疑問である。刺繍ならば再現も可能なことだろう。(※49師団の「朝○○」部隊の部隊章は刺繍であった。)
(※下士官以下は他部隊に現存するような、織り出しの隊号章を衣袴絨や脚絆絨のような生地にミシンがけしたものを配布したのだろうか。しかし、これはあくまでも想像。)
再現してみた。
あり合わせの材料で比較してみたが、文字が大きいようだ。
※郡山では“軍都”指定のため軍隊誘致活動に積極的で、海軍航空隊の教育部隊も置かれていました。郡山第三航空隊跡地は陸上自衛隊郡山駐屯地になっています。
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福島の特攻隊戦没者(沖縄戦)
第四十六振武隊 小山勝實 21歳
第二十振武隊 穴澤利夫 23歳
第百三振武隊 小関眞二 19歳
第二十九振武隊 上川幟 19歳
第百六振武隊 鈴木勇 18歳
第百七振武隊 渡辺市郎 20歳
第百七振武隊 降矢誠二 18歳
飛行百十戦隊 青柳秀雄 23歳
第七十七振武隊 鈴木三男 17歳
第五十六振武隊 四家稔 22歳
第五十三振武隊 丸山好男 18歳
誠第七十一飛行隊 渡辺正美 23歳
義烈空挺隊 菅野敬蔵 24歳
義烈空挺隊 遠藤重雄 27歳
第三独立飛行隊 新妻幸雄 21歳
第五十四振武隊 坂内隆夫 23歳
第四百三十二振武隊 矢内廉造 21歳
第四百三十二振武隊 影山八郎 22歳
第二十六振武隊 児玉直喜 24歳
第六十三振武隊 榊原吉一 19歳
第六十四振武隊 稲島竹三 21歳
第百八十振武隊 宇佐美輝夫 18歳
参考資料:「新編 知覧特別攻撃隊」高岡修編
第二十振武隊 穴澤利夫少尉
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昭和14年3月、当連隊は若松歩兵第二十九連隊留守隊において編成された。
この編成間近の頃、予備士官学校の教育を修了して原隊に復帰した阿部知幸見習士官(当時)は、連隊本部附の某中尉殿に「見習士官は東京の高等師範出で、絵を描くそうだな。略帽の星章の上につけるんだが、部隊のマークを『虎』でつくってくれ。急ぐんだ。」とのこと。参考にと渡されたのは若松市内か東山温泉辺りの土産物と思われる日本画風の虎の絵を描いた布。「金属板で、まる型のもの」と指定され、阿妻見士は天空に吠える頭部のマークを考え、金属で、ということで七宝製と決め、白虎の意図がわかったので(白虎隊にちなんで、と説明があったものと推察)輪郭は七宝の地金をいかし、虎は白とした。また、白虎をいかすため周囲は紺青(ウルトラマリン)と指定し、ニ時間程度で完成させた。
部隊の出発は四月三日。それまでに何千個かのマークができ、一人一人に配られ、略帽の星章の上に縫い付けられた。という。また阿部見士は「白虎のマークを部隊の標章と決定された連隊上層部のアイデアを素晴らしいものと思い、今なお、敬意とともに高く評価している。そして、このマークをつけた帰らぬ戦友の多いことを思い、なき戦友の冥福を祈る気持が、私なりにひとしお深いのである。」と回想していいる。以上連隊史「白虎マークの思い出」より。
歩兵第二百十四連隊史より
この度完成した再現品(この時点では研磨及びメッキの加工をしていない)
部隊章製作顛末
この部隊章製作にあたっては、以下の2業者様の御協力があり完成したものです。
G-IRON SILVER WORKS 埼玉県加須市
金魚七宝店 神奈川県川崎市
※ ※ ※
1 構想
構想は既に中学生の頃手にした「若松聯隊写真集」と「ビルマ戦線と風俗漫画集 会津若松 白虎部隊」(慰霊碑にある部隊章デザインが掲載されていた)を見て、いつかは・・・という気持ちがあった。徽章製作会社ロット数がないと単価にして五万円前後という恐ろしい金額であり、諦めていた。まだこの時点では、慰霊碑の部隊章は正確ではないことを知らなかった。
2 聯隊史の入手と詳細な写真との出会い
聯隊史を偶然入手した。「3000円程度なら」と、たまたま買ってみた。
内容を見ると、部隊章の詳細な図案が掲載されている(それでも2センチ未満だった)
しばらく実家に放置し、仙台方面に出張の折、帰省して久しぶりに読んでみる。すると、前掲の「白虎マークの思い出」の記事を発見する。また、これと同時期に自衛隊駐屯地の資料館で詳細な写真を確認することなり、製作可能か調べ始める。
3 徽章店はダメ、彫金は?エッチングは?
大体1円玉程度の大きさと決め、業者に問い合わせ始める。
最初は彫金屋。「ここまで細かいのは無理。サイズは大きくできないのか」ということで×。エッチングは七宝向きではないということで×
4 業者との出会い
方々問い合わせしているうちに、自分のシルバーのペンダントを見て、個人向けシルバーアクセサリー業者に問い合わせる。その業者に、再現で正確に作るなら、ロストワックス製法というのがある。3Dプリンターによって蝋で原型を作り、これを鋳造の型にするということで、G-IRON SILVER WORKS 様をご紹介いただいた。
同時期に、七宝屋の意見を聞かないと地金製作の依頼ができないと思い川崎の「金魚七宝店」に問い合わせる。
地金の指定事項として材質は純銀(シルバー925などは割れる可能性あり)で、発色や加工性も考慮して厚さ1.6ミリ、彫の深さ0.6ミリとした。七宝絵具については材料にラピスラズリを使用した発色の良いものとのこと。
両業者様には、こちらの熱意を汲んでいただき、大変丁寧かつ詳細に至るまで調整していただいた。(G-IRON SILVER WORKS様は、手彫りで特に「垂直彫り」は得意との事。)
●製作の流れ
図面製作とサイズの指定~ワックス原型製作~鋳造~修正~研磨~七宝店へ発送~七宝店側からの地金修正依頼~地金製作側に修正依頼~七宝店へ発送~色入れ(白)~色入れ(青)~研磨~メッキ(ニッケル)
※純銀製品は、傷つきやすいため通常はメッキで保護する。装飾品にはアレルギー性は少なく、皮膜強固なロジウムメッキを使用する。ニッケルメッキは安物の加工をするためのもの(我々の日用品には多く取り入れられている)で銀の価値を下げることになる、とのこと。しかし、ロジウムメッキにはリスクが伴うためどこの業者でも断られた。元々が装飾品ではないし、地金は多分銅に銀メッキを施したものであると考えるため、ニッケルメッキでお願いすることにした。
第63振武隊 神州隊の服装再現 2
陸達第30号(昭和20年5月14日)
第一条
陸軍飛行機操縦術修得徽章ハ空中勤務者基本教育ノ過程ヲ終了シタル者二対シ教育担任部隊長所管長官ノ認可ヲ受ケ之ヲ付与ス
第二条
下士官兵ニシテ陸軍部外二於テ飛行機操縦術ヲ修得シ航空本部長ノ行フ試験ニ合格シタル者ニ対シテハ所属部隊長前条ニ準シ陸軍飛行機操縦術修得徽章ヲ付与スルコトヲ得
徽章製作記
私は実物が欲しかったが、航空関係は元の数が少ない上に特定のマニアさんがゴロゴロいるのですぐに諦めた。残念。
中田商店にて購入したレプリカの徽章
これは兵科廃止に伴い廃止された将校用
星章の隙間に水糸をグルグル巻き付けて、容赦なく取り外す。地は良いのにクリスマスツリーの星みたいなメッキは残念。塗装も乗らなそうだし。
手持ちの星章を載せるとピッタリ。これを使う。
裏面はパテで埋めてしまう。実物は平面だ。
耐水ペーパーで削り、滑らかにする。
私は模型初心者なので、模型のプロである某氏の元へ。
とりあえず、現在は完成待ちの状態。