東部第六十六部隊
狐塚二等兵の従軍(郡山 東部第六十六部隊資料)
軍隊料理法(明治43)
歩兵第二十九聯隊第七中隊長 新城猪之助中尉
歩兵第二十九連隊 (折襟軍衣+兵科章+隊号章)
原町特攻隊 神州隊と國華隊の九九式襲撃機
63・64振武の使用した機種は九九式襲撃機であった。
尾翼マークは「荒鷲の翼に桜花」(廣瀬機)
色は翼が白、桜が赤で、デザインは相馬高等商業の美術教員、藤井魁氏による。描いたのは相馬高商の生徒。隣接する軍需工場である「原紡」からは二色しか調達していないため花弁の縁は機体の色(九九襲撃機は迷彩色であり、機体の地の色ではないか)とのこと。(福島市T女史談)
【人物について】この機体に搭乗していた廣瀬准尉もしくは久木田中尉であると思いきや、「行寄池の光と影」という岡山市協働推進課発行の冊子には
難波准尉として掲載されている。この件については後日確認予定。
下は横に立つのはデザインした相馬高商教員藤田魁氏だ。
真紅の桜は情熱を、白い荒鷲の翼は純潔を表す。
上記写真の尾翼マークと異なるのは、桜花のフチも白色であることである。
描いた生徒によって違うのかは謎である。
【↑他者所有につき許可なく無断転載を禁ず。但し趣旨を言っていただければ調整します。】
写真をもとに管理人が作成した尾翼マーク
別の部隊の99襲画像。
「発動機」さん有り難うございます♪
63振武での特徴は断片的だが以下の通り
①もともと集合排気管であったのを改造、単排気管にしている。
②出撃した7機に無線機は載せていない。
③機銃は取り外し、全くの丸腰
④木製プロペラに交換していたが、純正金属プロペラに戻している。
⑤明灰緑色のベースに濃緑色のスプレーガンによる迷彩塗装。
⑥日の丸は白縁がつく。また、日の丸後方には白帯。
⑦機体の番号は白色、飛行場隣接の軍需工場「原紡」から調達した。
⑧部隊マークは赤と白の2色。
⑨部隊マークは相馬高商の美術教員藤田魁のデザインで、相馬高商の生徒が描いた。
部隊改造の推進式排気管の写真が、國華隊のものであるが残っていたので掲載する。
人物は國華隊長渋谷健一大尉(少候22期出身の人格者であり、愛娘倫子さんへ宛てた遺書で有名、山形出身)である。
排気管とカウルフラップの改造、プロペラの色(茶色?)とマーク(黄色?)、キャノピーの塗装(灰緑色)などの状況がわかる。
下は同じ機体の前で撮影された國華隊、井上清軍曹と家族の写真。
射撃照準器は取り外されている??
爆撃照準器のみだったのかもしれない。
と、なると風防の切り欠きは?
原町空襲の記録
図説 戦時下の福島
表郷戦争回顧展
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第63振武隊 神州隊の服装再現(全般)
【下の写真は、昭和20年の相馬野馬追いの日に神州隊の下士官七名が国華隊が下宿していた料亭「柳屋」に招かれた。この時に柳屋の日本庭園で写されたものである。したがって、生還した中澤軍曹含め出撃した全員が写っている。】
左胸には大きな日の丸が見える。これは「あかねぐも第一集」を読むと分かる。原町初の特攻隊ということで一般隊員と区別するためであるとの由。
○被服について。
昭和19年8月26日「陸達第五十五号」に、「当分ノ間将校以下夏衣ニ代へ防暑衣ヲ用フルヲ得」(※例外として正装・礼装・通常礼装の場合防暑衣の襟を詰めて襦袢の襟を内に収める)とあり、またその補足として「陸普第三〇五五号」には「努テ軍容ヲ損セサル如ク留意シ必要ニ応シ部隊ニ於テ適宜服装ヲ統一スルコト」とあった。写真を見ても、この資料に該当するものであり、防暑衣であることが判った。しかし、襟の開き具合などから、防暑衣と夏衣は混用されているようである。
記章類
左 飛行機操縦術修得徽章(複製)
右上 空中勤務者章(実物素材使用複製)
左下 航空胸章(実物素材使用複製)
部隊章(複製)